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「わたしの吉祥寺」 vol.4〜「Planet K」 川名 “Tiger” 昭さん

ミュージック 川名さん

日本のMusicシーンを牽引してきた重鎮のあゆみとは?

吉祥寺のミュージックシーンを牽引してきた「Tigerさん」。
気取らない人柄で、たくさんの人から慕われているTigerさんは「吉祥寺Planet K」の代表。
今回、Tigerさんの日本の音楽シーンとともに歩んできた華々しい歩みをうかがうことができました。

タイガーさんの少年時代〜

Tigerさん談〜
1950年 東京に生まれました。
神田佐久町に八代続く、銘木問屋の九代目となるところでしたが、戦争廃業を余儀なくされて、映画会社に務めた父は、お祭りが大好き、特にお囃子に興味があったようで、機嫌のよい時は、太鼓を叩く真似をしていました。
また、母方の兄弟は音楽好きで、ギター・アコーディオン・サックスなどをこなし、正月は賑やかを通り越した大宴会催していました。特にプロドラマーだった叔父は、グランドキャバレーで荒井注(※1)さんともバンド仲間だったようです。そんな環境のもと、私はポール・アンカ、ブレンダ・リー、プレスリー等など聞きながら育ちました。

※1 いかりや長介とザ・ドリフターズ初期メンバー

小学生のときお小遣いを貯めて買ったのは「クラッシックギター」

Tigerさん談〜
私は小学5年で貯めたお小遣いで、クラッシックギターを手に入れ、クリフ・リチャード、The Animals、The Ventures、The Astronauts、The Beach Boys、The Yardbirds、The Beatlesを真似て演奏していました。中学のとき、エレキギターを手にしました。

高校時代には本格的なバンドを結成。大学時代はGOGO喫茶(後のディスコ)へレギュラー出演、都内や近郊で演奏していました。
当時大学の初任給は約4万円でした。5人編成のバンドのギャラが月25万。でしたから夜のバイトとしては言うことなし。おかげでマイカーは買えるし、遊び倒した学生時代を過ごしました。

その後、音響エンジニアーとして社会に出ましたが、いつの間にか演出家のカバン持ちや、コーラスグループ(花の中3トリオなどの時代)のマネージャーなどを経て、舞台監督として何千というアマチュアバンドと出会うことになりました。
今思うと、後の大スターが目白押しでした。

初めてのライブハウス〜四谷時代

Tigerさん談〜
1982年、設計施工した四谷のライブハウスを運営することになり、そこではSHOW-YA・安全地帯・CCB・BARBEEBOYS・ブルーハーツから、Xなどパンクまでのアマチュアバンドが日々しのぎを削っていました。

タイガー川名さん

ライブホール〜渋谷時代

Tigerさん談〜
1993年渋谷「ON AIR EAST & ON AIR WEST」(現TSUTAYA)のゼネラルマネージャーに就任、国内外のアーチストを多くの音楽ファンに提供しました。

また、自身のプロデュースでバンドをメジャーデビューに導き、ライブイベントを企画制作していたところ、吉祥寺でライブハウスを運営しないかとの誘いを受け、吉祥寺にライブハウスを開業することになりました。

「吉祥寺音楽祭」をプロデュース

Tigerさん談〜
1999年「吉祥寺PLANET K」を開業。停滞化していた「吉祥寺音楽祭」にテコ入れするため、街の音楽関係者にお声がかかり、吉祥寺ウエルカムキャンペーンの一環として「駅前野外コンサート(現スーパーステージ)」「コンテスト(現吉音コンテスト)」「JAZZコンサート」を実施することになりました。

スーパーステージ
2002年のスーパーステージはお客さんもまばら

当時ライブハウスでは、歌もの(ギターポップ)が主流。素晴らしいバンドが毎夜お客様を酔わせ、PLANET Kも連日満杯で、深夜まで心地よいサウンドに人々の交流が繰り広げられ、周辺の街からも若者が集まり、近隣のライブハウスとともに東京でも下北沢と並んで有数の音楽の街と認知され発展していきました。
同時に、JAZZハウスも不動の地位を保ち、街の質の高さとも併せ、上質な音楽の街の印象を深めました。

スーパーステージ
2008年はステージに屋根がまだなし

「PLANET K」の中でも、POPで清涼感満載のサウンド、力量とセンスで群を抜いていた「ユースムースアヴェニュー」は「吉音コンテスト」の2005年グランプリを獲得し、
そこからリーダー青江氏とのはるかな旅が始まりました。

スーパーステージ
2016年のスーパーステージ

吉祥寺の音楽を支える、仲間たち。

以前手がけていたアーチスト「持田ヒロツグ」と吉祥寺へ拠点を移し、むさしのみたか市民テレビ局で「ミュージシャンが吉祥寺の街を紹介する番組『吉番』で青江・持田をキャスターに起用、以降二人は多くの吉祥寺ミュージシャンとの親交を深めてくれました。

青江氏のセンスと、機転の速さを大いにかって司会をお願いしたところ、快く受けて頂き、今や吉祥寺のあらゆる音楽イベントの司会として欠かせない存在となりました。

また持田氏は、吉祥寺スーパーセッションバンドのヴォーカリスト兼プロデューサーとして、吉祥寺音楽祭で吉祥寺ミュージシャンの素晴らしさを披露し、全国区で活躍を続けています。

青江氏と持田氏は、先輩ミュージシャンのサポートを受けながら、若き仲間をまとめ、知恵を合わせて吉祥寺のミュージック・シーンを創造してくれると確信しています。

川名 ”Tiger” 昭さんから吉祥寺へのメッセージ

川名さん

これまでの吉祥寺は、音楽に限らず、優秀なアーチストを輩出してきました。35年続く吉祥寺音楽祭は世代の幅も広がり、新時代へ突入、世界から注視されるような新たな展開を企画しております。どうぞご期待ください。

吉祥寺で素晴らしい先輩、後輩、人々に出会い、21年間お世話になり、この上ない人生を送らせていただいています。街のお役に立てることがあれば、動けなくなるまでと思っております。
ますます素敵な街になりますように皆様と歩みを進めましょう!!

吉祥寺Planet KについてはこちらでCheck!

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