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わたしの吉祥寺 vol.8〜篆刻家 北村鐘石さん。

アート&クラフト 青雲堂

名だたる賞を総ナメ。印章技術の名店が吉祥寺に!

吉祥寺には、偉大な功績を成し遂げながら、まったく気取らず、街に溶け込んで暮らしている人がいます。
今回ご紹介する「北村 鐘石さん(きたむら しょうせき)」もその一人です。

北村さんの店「青雲堂」は、東急百貨店吉祥寺店のすぐそば、大正通り沿いの、中国の空気を感じさせる個性派の店が連なるエリアにあります。
女性に人気の台湾茶藝館と、人気中華そば店の間で、独特の存在感を放っているから、気になっている方も多いはず。じつは「青雲堂」は、名だたる賞を総ナメにしている、日本を代表する印章技術の名店です。

あまりにも受賞歴が多いので、詳しくはこちらをご覧ください。
(北村 鐘石さん認定・受賞歴一覧)

青雲堂

創業80年。先代から受け継いでいるのは?

「青雲堂」が創業したのは昭和14年。
お祖父様が開業し、お父様も厳しい修行を積み2代目に。

「匠」の血を受け継ぐ、3代目の北村さんが常に心がけているのは「美しい文字を彫る」こと。
日々精魂し、高みを目指す北村さんの歩みに終わりはありません。お客様の期待に応え続けるための努力の延長線上に、印章彫刻一級技能士の合格や、技術競技会での数々の受賞が重なっていったのです。

技を極めるストイックな北村さんは、じつは、気さくで飾らない人柄。
ロックなTシャツをサラリと着こなしている姿からは、まさかこの方が日本の宝といえる技の持ち主とは想像もつきません。

青雲堂

ところで「ハンコ」って何を目的に生まれたもの?

普段、契約書などに使っている印鑑ですが、もともとは、王様の意思を表した粘土製の親書を、陶器の箱に入れ、その蓋を誰にも開けられないよう、粘土で封をし、その上を円筒形のハンコを転がして、封印したのが始まりと言われているそう。

ハンコの起源は中国かと思う人も多いかもしれませんが、古くは7000年前のメソポタミア文明の遺跡で、ハンコの起源となる発掘品が見つかっており、その後、インドを経由し、シルクロードを経て、2500年ほど前に中国に伝わったと言われています。

現在、日本でハンコの材料となっているのは「柘植(ツゲ)の木」。海沿いの防風林として多く植林され、成長するまでに40年以上かかるので、年輪が細かく硬いという特徴があり、ハンコに適しているそうです。

青雲堂

先人への畏敬の念とともに、刻むものとは?

北村さんはハンコの達人ですが、じつは、書画などに用いる落款印の「篆刻家」としても著名です。
篆(てん)書は、2000年以上前に中国の学者が叡智を絞って創り上げ、今に受け継がれている、高貴で美しい文字。篆刻作品は、ハンコの何倍も大きいので、たった1本の線もなおざりにできないそう。

篆刻の世界に魅せられた北村さんは「私は専業の篆刻家になろうとは思っていません。篆刻はあくまで技術の研鑽が目的で、生涯が勉強です。」と、静かに篆書に向き合っておられます。
薄紙を重ねるように研鑽し続け、高貴で美しい文字を刻んでいく「匠」としての覚悟が伝わってきます。

青雲堂

町会を越えてつながりあう「吉祥寺」と共に。

「匠」はインドア派かと思いきや、北村さんは吉祥寺の街づくりにも関わってきたアクティブ派。
30年ほど前には、放置自転車ワースト1だった吉祥寺を改善するため、東京都や業界と連携して、折りたたみ自転車まで開発したそう。その後もゴミ問題に取り組んだり、音楽祭の運営に関わったり、秋まつりの委員長として活動したり「吉祥寺」と共に歩んできた北村さん。

「吉祥寺は町会を越えて、街全体で問題を共有して解決してきた。それができたのは、町会を越えて活動するスゴイ先輩方がいたから」と教えてくれました。

青雲堂

「カッコいいな〜」と思う先輩方の想いを受け継いで。

10代の頃から先輩方のもとで手伝いをしていて、若さゆえの情熱で意見していた時、北村さんを阻もうとする人と緊迫した場面で「最後まで言わせてやれ!」と大先輩が場を治めてくれたり、逆に、大したことのない場面で「おはよう」「おめでとう」と笑顔を見せてくれたり。
あるときは師、あるときは兄のよう、余分な命令なんかしない先輩方を、北村さんは「カッコいいな〜」と感じていたそう。

北村さんと同じように、先輩方の想いを受け継ぐ仲間たちが吉祥寺には大勢います。
ちがいを越えて、街全体でつながり合う「吉祥寺」の文化は、今も脈々と息づいています。

青雲堂については公式サイトでCheck!

青雲堂
吉祥寺のまつりを共に支えてきた安藤さんと。

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